「よかったですね」
先輩が結婚した。
学生時代私に、アッサーは全てが65点、と言い放った先輩が。
先日色々あって数人で会う機会があり、歩いている時2人になったタイミングにそっと、結婚するねん、という6文字が降ってきた。
転がっていった6文字を目で追いながら私は、おめでとうございます、と返せず、あ、よかったです、ね。ともごもご言った。
先輩はありがとう、と言ったけど、若干異様な空気が流れた。
こういう瞬間の気持ちの機微にそろそろ向き合わなければいけない。
6年前の一言にいつまでも固執して昇華出来ない私と、結婚する先輩。
おめでとうと言えなかった私と、ありがとうと言った先輩。
人は、意思疎通の手段の一つとして会話する。会話は言葉で成り立つ。言葉は気持ちを孕んでいるから、必ずズレはある、そのズレに、先に気づいた方が少し多く傷つく。
だけど伝えることに背を向けることをやめなければ6年前の自分から脱却出来ない。ズレを最小限にする方法と手順は?
ああ楽したい。肩肘張らずいきたい。湿り気のある話などしたくない。好きな音楽だけ浴びていたい。(というのが、最近の「モード」である。)
とか近頃はそのようなことを、食欲旺盛な身体と足りない頭で考えている。
先輩達と会った日の宴の後、悶々とした帰り道、男性に道を聞かれた。どうやら酔っ払っている。近くにあるはずのバーを探していると言う。
寧ろ教えてくれ、と思った。
私はどこに行くべきなのか、突き進むべきか戻るべきか、はたまた方向転換すべきなのか、教えてくれよ、
と思いながらスマホを取り出した。
開いたGoogleマップには迷路のように複雑怪奇な路地達が蔓延っていた。
京都日記
先週、3日間京都に行ってきた。
忘れないうちに印象的だったことを記録します。
京都と言ったけど、初日は友人と大阪を巡った。アメ村で古着屋さんを巡り必要ないものを沢山購入し、漫才劇場へ行き、(ニッポンの社長!!)たこ焼き、お寿司、日本酒、純喫茶、、、した。
その夜京都に移動して姉と合流、深夜2時まで営業している梅湯という銭湯へ行った。夜空に立ちはだかる銭湯の煙突が幻想的だった。
帰り道、梅湯の帰り?と老齢女性に突然声をかけられた。そうでーすとか言ったけど、こんな丑三つ時にあなたは何の帰り?と聞き返せば良かった。
良くも悪くも、旅先の出来事で印象に残るのって、やはり人との会話やふれあいだなあ。
翌日は諸々散策ののち、今回の旅の1番の目的のMIZのライブに、、。
MIZとは、4人組ロックバンドのギターとボーカルの2人で組んでいるアコースティックユニット。
ロックバンドではフェスやライブハウスでのライブが多いけど、ユニットは教会、お寺、学校などでライブをしている。
会場は紫明会館という有形文化財にもなっている建物で、80年ほど前に京都教育大学の同窓会館として建てられたらしい。紫明会館ずっと気になっていたが、アーチ窓やステンドグラスが配されていて、レトロな雰囲気でとてもよかった。
そんな中で聴く音楽、最高だった〜。
MIZの音楽は点じゃなくて線。
広大な芝生に風が吹いている、森の中へ進んでいく、バイクでまっすぐな道を走っている、など、「動」のイメージがあり体が自然と横揺れする心地よさ。そのくせハッとする歌詞を書くから「ほんまいけずやわぁ」である。
外国人のお客さんもいて、2人の音楽が醸す情緒は世界共通なのか、、と思ったりした。確かに曲はカントリー調なのにあまりにも古都京都にマッチしている。
会場は窓があいていたので、風鈴の音、蝉の声、外で遊ぶ子供たちの声が音楽と共に聞こえて(風鈴は涼しさを演出する為に敢えて設置したらしい)、目を閉じてみると、夏休みのおばあちゃん家の庭の匂いとか、おばあちゃんのしわしわの手とか、おじいちゃんとの葡萄狩りとか、猫のコグのことを想起して泣きそうになりながら眠くなった。
おばあちゃんもおじいちゃんもコグももういない。
その夜、心が潤った状態で姉の友人(時計職人)と合流して、三条のクラブメトロという老舗クラブに行き、うってかわってエレクトロミュージックを聴く。
時計職人さんとは初対面だったが、手作りのアクセサリーやイラストを姉伝いに頂いたことがあり、お互い認知はしていたのですぐ打ち解けられた。
先斗町に行き更にお酒を飲む。
時計職人さんとは趣味嗜好が酷似していて、最近良かった音楽や本のことを沢山教えてもらったし、教えた。一方通行でない会話って難しいけれど、湿り気のある話一切なしで、趣味の話が存分に出来て楽しかった。
あらゆるものを自作したいんだと力説している2人を見ると、歯車化している自覚がある自分としては、0から1を作れる人はカッケーんだと至極当たり前のことを改めて目の前に突き出された気がしたァ。
音楽と、旅の疲れも相まって酔っ払った。最後に珈琲が自慢のレコードバーで美味しい珈琲とプリンを食べて解散した。
帰り道、学生集団とすれ違う。ゼミの飲み会かなあ。サークルの決起会かなあ。明日は一限起きれるかなあ。えもいわ。えもいって古い?
私はもう、学生の時みたいな遊び方は出来ないけど、学生の時出来なかった遊び方が出来る。諦観と希望。
嗚呼、朝よ来ないでくれ、明日よ来ないでくれ、、と悪あがきしたくなる刹那的な夜〜。京都の夜の街並みはいつだって人を儚い気持ちにさせるよね、、。
容赦なく朝はやってきて姉は仕事に出かけて行った。
最終日は1人行動の日。
朝から雲龍寺という泉涌寺道を奥へ奥へ進んだ山奥のお寺で写経体験をしてきた。
お寺に向かう道中、平日だったからかほぼ人がいなくて、え、これ道あってる?ただ森の中へ進んでいってない?と不安になりながらも無事辿り着けた。暑くて暑くて汗だく。
パラサイトの豪邸のように坂の上に立ちはだかるお寺に戦々恐々としながら足を踏み入れたが、案内してくれた女性が親切で安心した。
「写経する部屋な、クーラーなくてめちゃ暑いねん、、」と3回ほど言われたが、本堂は寧ろひんやりしていて心地よかった。
写経をする前に、まず丁字(クローブ)を口に含む(書き終わるまで口に含んでおく)、次に塗香を手に擦り込ませる、最後に水を頭にかける、という3ステップで心、体、頭を清める。
心身を清めた状態で般若心経を書き始める。書き終わったお経はお供えして、クローブは土に返す、そして大黒天様にお参りをする、という流れ。
蝉の声と庭園の匂いを感じながら般若心経をひたすら書く。頭の中を無にしてひたすら文字を書く。
初めての経験なのに、写経の心地よさが分かる素質は元々備わっていて、遺伝子が喜んでいる!という感覚になった。サブリミナルか?
友人の突き刺すような言葉も、明日への焦燥も、今は全て忘れて目の前の般若心経と向き合うのだ、、。
本堂がひんやりしてるので汗もひいてくる。
「無になりたい時はひたすらキャベツの千切りだろ!?」だったけど、新たな選択肢が出来た。
眼耳鼻舌身の5感は全て、意、つまり心に繋がっている。人を支配する6つの道具の正しい使い方を仏教の神様は教えてくれる。
仏教系の大学だったから、学生時代は毎週必修で仏教の勉強をしていた。あの頃は煩わしかった教えが今になって沁みる。何事も後になって分かることばかり。(よくある話)
写経が終わったら、お抹茶とお菓子をいただく。広いお寺の中のあちこちにテーブルと座布団があり、庭園を見渡せる。好きな場所でいいと言われたので1番広々とした部屋を選んだ。贅沢に庭園の景色を独り占めしながらお抹茶をいただいた。本当に一人ぼっちだった。おい〜こんな素敵な場所があるのに皆知らないのかよ〜〜と謎の優越感。
案内してくれた女性にお礼を言って、雲龍寺をあとにして下界へ戻る。例のごとく沢山の観光客にカメラマンを依頼されながら街中へ。
祇園祭の鉾の準備をする職人さん達がかっこよかった。神様が八坂神社から3年ぶりに京都の街へ出て行く準備をしている。学生の頃バイト先の大将が祇園祭のちまきを買ってくれたのが懐かしい。宵山と山鉾巡行、来年は見たいな。
その後も諸々散策をして今回の京都旅は終わった。
途中、休憩した甘味処で食べた琥珀流し(名前が素敵)美味しかった。
たまたま発見したレコード屋さんも良かった。店主の男性がずーっと微かな声で鼻歌を歌っていた。
他にも色々観光したけど、印象的だったことだけ、、。今回は文化的活動が色々出来てほくほくした。
でも、これは主観だけど、京都はやはり閉鎖的な街だなあとも感じる。
東京はサラダボウル、隠れる場所が幾らでもあるのに対し、京都は「郷に入れば…」感が非常に強い。それが京プライドか。歴史が長いものね。気軽に知らないお店に入ってみよう、のハードルが非常に高い。商売の世界ならひとしおだろう。
あとはそこらじゅうに想い出があるので「体感的に」くすぐったい。
来年からここが帰る場所になるのか、、、。
なんでもいいけれど(いいんかい)、兎に角、10年後も京都で、今しか出来ない遊び方が出来るって思えてたらいいなぁ、と思った。
来月は鹿児島に行く。
完。